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zoom RSS 『リトル・ピープルの時代』 宇野常寛 著

<<   作成日時 : 2012/02/12 00:58   >>

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 面白い。というかこんなにこの時代をきちんと捉えた本を初めて読んだ気がする。非常に明晰で彼が言っていることは多分、正しい。
 但し、『羊をめぐる冒険』以降の村上春樹作品に対して共感出来ず読むことを止めてしまい、アニメやゲーム、ヒーロー物にもまったく興味を抱けない私としてはその結論にどうしてもついていけない部分が残る。
 
 でもまあ内容を簡単に紹介しておくと、序章「壁と卵をめぐって」で3・11の「大震災」と村上春樹のエレサレム賞受賞時のスピーチ「壁と卵」について語られ、現実が村上春樹の想像力をはるかに凌駕していったことについて書かれている。

 次に第一章「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープル」ではその村上春樹作品についての分析が行われる。彼が『1Q84』で描こうとして描ききれなかった、「高度なシステム」の中で誰もが否応なく社会に対してコミットメントしてしまう「リトル・ピープル」の世界と、ジョージ・オーウェルが『1984』で描いた「ビッグ・ブラザー(が支配し、それに対してコミットメントするかあるいはデタッチメントする)世界」を比較しつつ、私達の時代がビッグ・ブラザーが「壊死」した後のリトル・ピープルの時代であることを明らかにしてみせる。
 
 続いて第二章「ヒーローと公共性」ではウルトラマンと仮面ライダーを中心とした所謂「ヒーロー物」の中で「悪」と「正義」がどのように変遷していったかが語られ、リトルピープルの時代における「正義」の在り方、即ち悪(壁)に立ち向かう卵としての在り方がどうあるべきかが語られる。
 彼は言う。此処ではないどこかに向かうのではなく、徹底的に此処に留まりひたすら潜り続けることで世界を変えることが出来る。「革命」ではなく「ハッキング」によって、と。

 そして第三章「拡張現実の時代」では、アニメやゲーム、宮藤官九郎のドラマ・映画を使って、私達リトル・ピープルの時代の現実は、ビッグブラザー的な疑似人格と「彼」の語る大きな物語としての世界ではなく、キャラクター(のデータベース)とゲームシステムとしての世界なのだということが証明される。

 最後に終章「石巻のリトル・ピープル」では再び3・11の「大震災」と福島の原発事故が語られ、圧倒的な速度で進化して行く貨幣と情報のネットワークからその速度を奪い取り、現実を書き換え、拡張する想像力が必要なのだと彼は言う。

 内容的にちょっと重複感があって途中で飽きてしまうところもあるかも知れないのだけれど、ちょっと我慢して最後まで読んで頂きたい一冊。

リトル・ピープルの時代
幻冬舎
宇野 常寛


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